| 今回のインタビューは、バッチフラワー療法家、NLPトレーナー、ライフトラックトレーナーの白石 由利奈(しらいし ゆりな)先生です。 先生は、バッチフラワーレメディ協会の代表でもあり、株式会社 SEEDS OF LIGHT代表取締役でもある上、NLP創始者Richard Bandlerの米国NLP協会・日韓ディレクターであるA.スウィル先生とNLPを日本に広めるための活動もされてきた、多才な方です。 その活動ぶりとはうらはらに、ほんわかと柔らかな白石先生が「魔法の杖」とおっしゃるNLPや、「電流が走る」出会いをされたバッチフラワー療法を中心にお話を伺いました。 |
|
自分にとって生き生きとしたより大きなヴィジョンとなってきたのです
|
![]() 子供の頃はどんなお子さんでしたか?
私自身はすっかり忘れていたことなのですが、小学1年の時、「大人になってなりたいもの」を書いたとき、"魔法使い"と書いて先生に笑われたという話を、この仕事をするようになってから、母がしてくれました。 当時はテレビで「サリーちゃん」などが放送されていて、魔法が使えたらいいのになんて思っていました。 また、子供の時から、人ってお互いもっと仲良くなれるのではないかとか、なぜ人は他人の悪口を言ったりするのだろうとも思っていました。 人はそれぞれ長所もいっぱいあるはずで、そういうのってもっと引き出せたらいいなと漠然と思っていたのです。 子供の頃から一生仕事をしていくような女性でいたいと思っていて、お医者さんになろうと思っていたのですが、理数系があまり得意ではなかったということもありまして、きっと心と体は関連性があるだろうと大学では心理学を勉強することにしました。 どんな大学時代でしたか?
大学時代はいろいろな先生について、病院や施設などで研修させていただいたりして、いい経験をさせていただきました。 ですが、卒業する段階になって、大学院へ行こうか迷いつつも、自分が誰かをサポートするにしても、机上の学問だけで、一般社会での経験がなかったら、共感ができないだろうと思い、システムエンジニアとして就職したのです。 就職していかがでしたか?
最初は、企業と今まで自分がいた学問の世界とは、ギャップがある感じがしました。 企業は利益追求が必要ですし、自分がいた心理や教育の世界は社会貢献的な一面を持っている印象があって、入社当時は少々カルチャーショックのようなものを感じました。 SEになった後は、毎月100時間以上残業をしていました。確かに忙しく大変なこともありましたが、とても充実していました。 今、「NLP」というものを教えているのですけれども、それは、「現在の状態から望ましい状態」に最善の方法で到達できるようになるためのツールです。 今考えると、その当時も、お客様にとっての「現在の状態から望ましい状態」になれるようにということの基本姿勢を学んでいたのだと思います。 海外へ行かれるきっかけは?
会社での生活が軌道に乗ってくるにつれて、心理の世界に戻って、カウンセラーになるのは無理だろうと思うようになっていました。 その会社に6年もいたのでこれから大学院に行こうと思っても年齢も20代後半になっていたし、難しいのではないかと半ばあきらめかけていたのです。 でも、海外に留学することは子どものときからの夢でしたので、それだけは実現しようと思って、イギリスに渡り、子供の福祉施設で働かせてもらうことにしました。 大学時代に障害児の療法にかかわっていたので、同じようにてんかんの子供達のスクールが併設された入所施設に、ケアスタッフとして治療のサポートをする形で13ヶ月勤務しました。 NLPとの出会いは?
帰国して、結婚したのですが、子供が生まれた年にNLPとバッチフラワーを知りました。特に、バチフラワー療法はすぐに教えたいと思いました。NLPは、ある人からヴォイスさんのセミナーのことを教えてもらったことが出会うきっかけとなりました。 NLPのコースは、スキルを学びながら、自分も皆も目覚ましい変化をしていく手応えがあるのですね。それを自分も体験し、自分自身もまたどんどん変化していきました。 今振り返ってNLPのどんなところに魅力を感じたと思いますか?
心と体というのは一体のもので、どちらかからアプローチしてもいいし、両方からアプローチしたら、より効果のあるものだと思っていました。また、人間は五感を持っているから、五感のすべてに働きかけるようなことができたら、とても効果的な療法になるのではと思っていたのです。 ですが、それまで自分が学んできた心理療法というのは、どちらかというと、非指示的―つまり、相手をジャッジしないで相手に共感、理解をしていくというものでした。クライアント本人が話している中で、だんだん自分で気づきを得ていくという・・・。 何年も何年もカウンセリングに通うというのは、その人にとって貴重な時間ですし、お金も当然かかってくるでしょう。もし自分の必要なレッスンとして何か学ぶことがあるのだったら、その人が苦しんでいる期間をもっと短縮できたならいいのではないかと考えました。 その分の時間をより自分らしい人生を生きることに使えるのですから。そこで出会ったのがNLPとバッチフラワーなのです。 NLPは、自分の潜在意識に入って、解決策を考えていくとか、自分の中の葛藤を解決するとか、自分の方向性を明確にすることがわりと短時間でできるのです。 例えば、何十年も従来の治療を受けていた、恐怖症の人が、たった20分で自分の意識が変わって、恐怖症が消えることも、NLPなら充分起こりうるのです。 96年にアメリカまでNLPを勉強しに行かれたそうですね。
NLPを教えるためのトレーナーコースをNLP創始者のリチャード・バンドラーという方のところに受けにいって、トレーナーの資格を取りました。そのコースに行ってから、自分の道がより明確になり、更に人生が急速に展開し始めました。 そのコースを受けた年は、勉強会や小さなセミナーのようなものを開催し、次の年には、渋谷でセラピースペースを開いてバッチフラワー療法やNLPや催眠療法を使ったカウンセリングやセミナーをスタートしました。 NLPを教えたいと思ったきっかけは?
アプローチは随分違うのですけれども、NLPもバッチフラワーも根底にある考え方が共通しているのです。1930年代にバッチフラワーを作った、パッチ博士という医師も、NLPという名前ではないですけれども、NLP的なコミュニケーションの取り方を患者さんにしていたのですね。 NLPは五感を活用するのですけれども、例えばバッチ博士も診療をする時に、五感をフルに使って、非言語的な部分も含めて患者を観察していたり、博士が実践していた相手との信頼関係の築き方にもNLP的な要素が見られます。 「人は幸せになれる力がある」、「自分を改善していくことや、病気を治していく力は自分の中にある」ということや、「病気とかトラブルなどの問題というのは、その人にとって災いではなくってむしろギフトなのであり、チャンスなのだ」ということとか、「誰もが自分だけの生きるべき人生、使命や役割がある。そして、そのための才能や力は、自分の中にあり、見つけて貰うことを待っている。」ということなどを、バッチ博士は言っていますが、それはNLPにも言えることです。 そして、それは私が子供の頃から思っていた、「誰にでも魔法を使う力があるのではないか。平和な世界を築くことができるのではないか。」という考え方と一致したというか、つじつまが合ってきたというか。 今までバラバラになっていたジグソーパズルが、だんだんまとまった絵になってきたという感じがしたのです。そして、それらのメッセージを伝えたいということが、自分にとって生き生きとしたより大きなヴィジョンとなってきたのです。 |




