今回のインタビューは、「コーチング/ パラダイムシフト」の第一人者として 高い評価を受け、講演・講座・研修は、全国で年300回以上という エグゼクティブコーチ 岸 英光(きし ひでみつ)先生です。 岸先生は、 コミュニケーショントレーニングネットワークの 統括責任者でもいらっしゃいます。 『機能するコミュニケーション』を日本の文化にするべく、 精力的に活動をされている岸先生から、「コーチングセンス」や 「パラダイムシフト」の大切さ、「ほめない子育て」などについて 幅広く、深いお話を伺いました。 |
会話からパラダイムシフトを起こしていく。それが、センス |
![]() 「コーチングを簡単に説明していただけますか?」
広い意味では、関わった相手を伸ばしたり、その能力をスムーズに発揮できる関わりだったら、全部コーチングだと思っています。例えばスポーツでは、選手が最高に能力を発揮できるようになり、目標の記録を出せるようになったら、コーチングですね。 同じ様に、看護師さんが多少ストレス抱えながらも、的確に患者さんと関われたり、処置ができるようになってどんどん能力と効率を上げられたら、コーチングなんです。 狭い意味のコーチングだと、コーチとの会話、特にどちらかと言うと質問を投げかけていくことで、相手に探らせるとか、編み出させるとか、そして編み出したものを自分で実際にやってみて、成功しても失敗してもそこから得た体験から、次はどうしたらいいか考えてやれるようにするプロセスです。 だから、コーチングという本を見ると、質問の技術と思われる人が非常に多いですね。コーチングの研修を受けても、どんな質問をするか、どんな投げかけをするかに終始することが多いですね。 ただ現実の中では、いくら質問を投げても、相手の価値観の枠組みや文化が、その人の能力を止めてたりしていて、その枠を外せない限りは、いくら質問投げかけても「さあ?」で終わっちゃうことが多いものです。 「枠を外すことが重要なのですね?」
その辺が、私の分野です。 よく、魚を欲しがっている人に魚をあげるのではなく魚の捕り方を教えなさい、と言いますけど、魚の捕り方を教えるのはティーチングですよね。こっちが魚の捕り方を知らないと教えられないし、しかも、教えたものはやれるけど、そこで終わっちゃうんですね。 コーチングは、相手に魚を観察させて、魚がどんな動き方をするかとか、どんな特徴があるんだろうとか、いろいろ探らせて、さらに、どうやったら捕れるか、自分で考え発想させる。 魚の捕り方だったら、釣りとか網とか既存の考え方がありますが、それを横に置いておいて、全く新しい捕り方を編み出させる。編み出したものを試してみて、そこから、よりレベルの高い考えに、より楽に結果が出るようなものをもっと探り出させる。 そうすると、一回それができたら、今度は、獣を相手にしようが、鳥を相手にしようが、そのセンスでやっていける。最終的には本人が創り出せるから、いなくなっていいものがコーチなんですね。 ただ、そのプロセスの随所で様々な枠が影響する。 「パラダイムシフトを提唱されていますが、それについて教えていただけますか?」
まず、パラダイムの意味は、辞書を引くと、その時代に特有の物の見方や考え方、捉え方。それをパラダイムと普通、言っています。 企業だと文化や風土、これがパラダイムになりますし、業界だと慣習みたいなものがパラダイムになり、個人では、価値観の枠組みと僕は言っています。 価値観というのは、物の見方・考え方・捉え方ですね。何か見た時に、きれいだなとか汚いとかすごいとか意味ないとか思ったり、できそうだと感じたり無理だと感じたり、自分のことだと感じたり他人ごとに感じたり、全部価値観です。 その価値観にさらに枠がついていて、その枠組みに基づいて行動するから、うまくいかない。そんな風に人の思考や行動を時には制限したりする、それをパラダイムと言うんですね。 これを変えられないと、良いと分かってもそうできなかったり、やっても能力が出せなかったりするんですね。それを扱えるようにならないと突破的な結果が出せない。 「そこで出てくるのが、パラダイムシフトという考え方ですね?」
そのパラダイム、枠組みを変えられたり、変えられないまでも超えられたらいい。 僕自身が、短気でおっちょこちょいで、その性格だとこのような仕事はできないというのが、普通のパラダイムなんですよね。 でも、向いているとか向いていないとかと、そのことで結果を出せるかどうかは、全く関係ないんですよ。でも皆は、関係づけていますよね。就職でも、自分に何が向いてるかで選びますよね。何ができるかで選ぶから、続かないんですよね。やれることとやりたいことが違っている場合が多いですから。 「やりたいこととできることは違う、というパラダイムがあるということですね?」
そうですね。皆が適性がどうのとか、何がやれるかとか、どこが入れるとかで学校や会社を選ぶじゃないですか。僕もそれをやってた時は、全然活き活きしてなかったんですよ。 僕は人前に出るのは未だにダメです。そして毎日人前に立っている。だから、好きかどうか、できるかどうかは、関係ないんです。 自分の中にも自分に制限を掛けてて、本当に自分がやったら素敵なすごいことは、したくないことや無理なことや向いてないことに入れてしまいがちな傾向にあるんですよ。なぜなら、人間って枠の中で小さくいたいんです。 そんな中、合ってる仕事なんか絶対するなと、脳科学者の養老孟司さんは言っています。 合ってるってことは、合ってる訳だから、伸びない。つまり、すぐ限界が来る。合ってなくても、やりたい仕事をやったら、合ってない部分を伸ばしたり、そこを人とコラボしたり、そこから何かを生み出したりしていけるけど、合ってることなんか絶対やったらダメですよ。 「それより、やりたいことをやった方がいい?」
やりたいことだったら続くでしょう? でも殆どの親は、適性テストやらせて、先生に「これが向いてますよ」って言われて、自分の本質じゃないところで、人生を選ぶ人が多いんでしょう。これからは個性の時代だって言っているのに、皆おかしいです。 「コーチングを受けると、どんな良さが得られるのでしょう?」
まずは自分が止められているパラダイムが見えれば、自分の世界が圧倒的に広がります。行動範囲も変わるし、興味の範囲も変わるし、行動力を発揮して、出す結果も桁違いに変わるんですよ。 「パラダイムシフトを起こす手法としては、どんな風になさるのですか?」
もちろん会話です。ある程度会話をしていくと、その会話の中にその人を止めているものが出てくるものなんです。自分では分からない。でも、センスを訓練した人が聴いていると、この人はこの枠に止められているんだなと明確に分かるんですよ。 自分がいつもしている会話や、自分の口から出ている言葉を、ちょっと精査してみる。すると確かに、「おかしいよ、これ」っていうことがあるんです。 枠は、会話の中に自然に言葉になって出てくるんです。ただ多くの人はそれを全く疑わないだけなんです。それを並べてみると山ほどの枠がそこに隠れていて、そのいくつかをぶっ壊すだけでもいい。かなり自由になるものなんです。 僕の講座はだいたい3時間のうち、1時間半くらいは、参加者が、前回から今回の間に何があったかを自由にしゃべるだけなんです。僕はそれにコメントをするだけなんです。 これが面白いもので、その人が話していることの中に、確かにその人を止めているものが聞こえ出すんです。まわりの人には見えて本人だけが分からない訳です。 でも、その止めているところにだんだん気がつくようなセンスが身に付き始める。人のことを見ているうちに、自分にも気づき始める。そういうことをやっていくうちに、行動と結果が出るんです。 「そこのところがコーチングセンス、なのですね?」
そうですね。カウンセリングだけだと時間もかかるし、内面に焦点が当たり行き詰まる場合があるんですよ。でもコーチングだけでも機能しないことがある。両方を持っているといいです。 本当に病んでいる人にはカウンセリングが必要ですし、先にしっかりと自分の内面と取り組まないといけないですが、でも、ちょっとストレスに阻まれているくらいだったら、行動して結果を出しちゃった方が楽になれたりするので、コーチングが機能するところもあるんです。 だからある程度心の中のことに片が付いたら、今後は現実に向かう、と。この両方がないと、ビジネスでも教育でも医療でも絶対うまくいかない。 「両方のコンビネーションが必要だということですね?」
そうですね。だから僕は絶対にカウンセラーの人にもコーチングを学んでほしいし、コーチにもカウンセリングを学んでほしい。もっと言いたいのは深いレベルのコミュニケーション全体を学んでほしい。 「コミュニケーションにはカウンセリングの部分もあればコーチングの部分もある。両方があるという捉え方なのですね?」
そう。それが集団に使えればファシリテーションになるでしょうし、経験者がやればメンタリングになる。すべてコミュニケーションの一部なんです。 「コーチングがカウンセリングと違う要素としては、いかがでしょうか?」
カウンセリングの場合は心や内面に焦点を当てていく。コーチングは現実と行動に焦点を当てていく。現実をどうしっかり捉えて、的確にやっていくか。よく間違えられるんですが、コーチングはポジティブシンキングやプラス思考ではないです。 現実をただしっかりと捉える訳ですから、できない時には早く諦めるのも現実として必要です。それを「できるんだ」と思って木端微塵になるのは不適切です。 よく「コップに水が半分しかない」と考えるのではなく「半分もある」と考えましょうと言うじゃないですか。僕がよく言うのは、「半分は半分なんです」と(笑)。 「では、教えない、ということについてはいかがですか?」
そこは、僕は「コーチングはティーチングとは違う。教えてはいけない」という枠に囚われているコーチングもどうかと思う。 例えば職場で、来たばかりの新人に自分で考えろと言っても仕事はできない。最初は教えなきゃいけない。ある程度分かってきたら考えさせる。でも、まだ責任は持たせてはいけない。ある程度やれるようになったら「今度はお前の責任でやってみろ」と任せていく。 そういう風に関わり方を移行していく。だから僕はコーチングとティーチングと、その間がなければ絶対にダメだと思っています。どれかだけでやろうと思ったら、間違える。ティーチングも同じです。これが、僕がコミュニケーション全般だと言っている理由の1つです。 質問集みたい関わり方、あれは愚の骨頂ですよ。その瞬間に、相手はどんな所に立っているんだろう、ということを言葉の中に感じ取って、相手の言葉の中からいろんなことを感じる力がないとダメです。 カラ元気だってあるだろうし、コーチを受けているからということで、その時だけ特別にキャラクターを作ってるかもしれないし、または早く終わらせようと適当なことを言ってるのかもしれないし、そのことにフルに全てのセンスを使ってなかったらダメなんです。 「コーチングセンスを培う、または高めるためには何が必要だとお考えですか?」
徹底的に人に関わらなきゃダメですよ。僕の師匠は「心理学は勉強するな」って言ったんですよ。心理学はできるようになるけど人が扱えなくなる、だから心理学は勉強するなって。 面白いもので、人に徹底的に会って、人がどんな会話で動き始めたり、どんな会話をすると止まるかということをいろんな人と関わってやっていて、だんだんとその感覚が捉えられていって、その後で心理学の方にいくと「その通りだよな」ということしか書いていない。 センスを得たら、書いてあることは当たり前なんですよ。書いてあることで覚えた人は、センスがないまま知識とノウハウだけを持っていて、たぶん相手のことが感じられない。 ちょうど自転車と同じだと思ってください。自転車って誰も、本で勉強して乗る人いないでしょう。物理の理論が全部分かっても、自転車に乗れるようにはならないでしょう。そして自転車って突然乗れるようになるでしょう。それで、乗れたら一生ものでしょう。 センスって呼ばれるものは全部そっちだと思うんです。コーチングもセンスである以上、理論でやったらアウト。だから僕の講座は理論・理屈を教える前に徹底的に観察をして試させています。 「パラダイムを外すコツは、あるのでしょうか?」
何気ないのが一番ですね。というのは頭で考えて言うことは全部まことしやかで、理屈が通っていて、説得力があるじゃないですか。でも人間はそうじゃないじゃないですか。 頭で言っていることにはまず真実はなくて、何気なく湧いてくる会話の中にちゃんと真実があるんです。だからどれだけ自分をオープンにできるか。こちらがオープンにすると相手もオープンにするので。その瞬間、ポロっと出たシッポをちゃんと掴む。だから「センス」なんです。 「まずシッポに気づくのがセンスで、掴み方もセンスですか?」
そうそう。あとはこっちが何回か「ほら、俺もこうなんだ」ってやってみると、本人も自分で「ああこれか」って掴み出す。最初はするりと抜けたり、別の人のシッポを掴んだりするんですけど、やってるうちに自分で自分のシッポを掴めるようになります。 「子育てについて、先生が思っていらっしゃることをお聞きしたいのですが?」
子育てに関しては、これほど全国的に全ての人が目を向けていて、うまくいっていないことは他にないなと思っているんです。 一番は、大人が「勉強をさせよう」と頑張り過ぎている。子ども達は「させよう」と、操作されることには、本能的に反応するんです。「その手に乗るもんか」となって、裏目に出ている部分がある。 もう一つは、これだけ多様性とかダイバーシティとか言われながら、全然多様性のない教育をやっている。だからそれ自体を変えないとどうにもならない。 企業が人の採り方を変えれば大学や高校が変わるし、高校が変われば小中学校は変わる。あとは、一番元の、親子の関わりが変われば、小学校や中学校に期待することも変わる。両側を締めなきゃならないと思うんですよ。だから、今は小学校とか企業とかに力を入れているんです。 ![]() |