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あなたのそばにいる「こころ達人の横顔」 インタビュー集


カウンセラーやセラピスト、セミナー講師など「こころの現場の最前線」で活躍されている方の横顔を紹介します。

 ・カウンセラーってどんな人なの?
 ・カウンセリングって、どうやって受けるの?
 ・私も将来カウンセラーになりたいのですが・・・
 ・・・などなど


「こころ達人の横顔」をインタビューしてきました。
あなたにとって、カウンセリングやセラピー、ヒーリングがもっと身近になれば幸いです。

- 春日 武彦 先生 精神科医 成仁病院顧問 -

   「現代型うつは、“うつ”という手段による“リセットの儀式”」

2014年 01月 11日


今回のインタビューは、『精神科医は腹の底で何を考えているか』等の
数多くの著書でおなじみの精神科医、春日 武彦(かすが たけひこ)先生
です。

春日先生の、人間の心についての、鋭くかつ優しい論考は、
多くのファン・専門家から支持されています。

精力的な執筆活動と併行して、豊富な臨床経験を持つベテラン精神科医と
して、臨床現場でもご活躍の春日先生に、
「現代型うつ」「家族」「言葉のちから」などについて、深いお話を伺いました。


大切にしているのは、面白半分ではない“好奇心”

インタビュー写真




「先生は、小さい頃はどのようなお子さんでしたか?」

僕はひとりっ子で喘息でした。そして、喘息のせいで幼稚園にも保育園にも行ってないんです。それに、小学校は電車に乗って通っていたので、近所には友達がひとりもいませんでした。親は何も教えてくれなかったので、小学校に入った時も、右も左もわからないような状態だったんです。

このように、最初から社会性ゼロだったように思いますね。


「では、1年生の時は大変でしたね?」

ものすごく大変でした。

特に子どもの時は、わからないことをどう聞いていいかわからなかったり、質問すること自体が選択肢として思い浮かばなかったりして、結局、自分の中でウジウジ悩んだりして、散々大変な思いをしました。

多分、その時の経験が今につながっているんだよね。適切に物事を尋ねるとか、SOSを出すとかできれば何とかなるんだけど、それができないとか、聞くこと自体が頭に登らない人は結構いるよね。

自分なりにいろいろ工夫してみるんだけど、大概トンチンカンになってうまくいかないから、世の中は敵意に満ちているものだと思ってました。だから、僕は子ども時代に戻りたいとはまったく思わないですね。


「精神科臨床の現場から見て、昔と今で患者さんの傾向に変化はありますか?」

昔の方が症状が派手でしたね。統合失調症は、いかにもって感じでしたし、パーソナリティ障害も、暴れ方やすさまじさがハッキリしていました。

だから、昔の方がメリハリが効いていて、今の方がハッキリしない、生煮えている感じです。ズラーっと薄く広がった、という印象ですね。


「それは、昔は重症化してから来院していた、ということですか?」

そこはよくわからないんだよね。実は、食事の影響も結構あるのではないかと薄々思っています。だって、今まで人類の体に入ったことがない物質が、ここ最近になってどんどん入ってきているわけで、その影響がないわけがないよね。


「患者さんの母数は広がっているのでしょうか?」

広くなっていますね。精神科の敷居が低くなっているのは事実だけれども、それがいいことか、というと、一概にそうとも言えないよね。一番顕著なのが、いわゆる“現代型うつ”ですね。

実際には、パーソナリティ障害圏の患者が圧倒的に多くて、怠けとは言わないけど、本人としては辛くても、それを辛いといったらどうしようもないでしょうと、つい説教したくなるようなレベルでもありますよね。

もちろん、これは本人申告だから、来院したら対応せざるを得ないけれど、本来なら心理療法的なアプローチで治療するべきだと思うし、実際はそんなに多くの時間を割くことができないわけ。

だから、どうしても薬を出す形になるし、患者も薬を希望しているところもある。ところが、本来的に薬は効かないので、そうすると患者がどんどん増えていく、という流れになっていて、完全に悪循環ですね。

さらに、現代型うつでは、他のクリニックから、「もうどうにもならない」ということで、事実上患者を押し付けてくるようなケースも一杯あるんですね。その時に、その症状は本来の病気なのか、または、たくさんの薬を服用した副作用なのかわからなくなっていることもあります。


「副作用の可能性もあるのですね?」

本人は、病人として扱われていることで、病人人格になってしまっているし。病人として生きるというのは、ある意味でラクな部分もあるわけですよね。

病人なら立つ瀬があるし、それなりに承認されるし、ラクな部分もあるから、そういう立場に慣れている患者はものすごく多い。しかも、それで生活保護も受けていたとしたら、そこから抜け出すのは容易じゃないですよね。

考え方によっては、生活保護を受けたら、ラクはラクじゃないですか。だけど、人が生活保護を受けないのは、恥ずかしいとか情けないとか、そういう気持ちがあるからだけど、一旦そこを突破してしまったらもう怖いものなんてなくなってしまうんだよね。

そういう意味では、精神科の敷居を低くしたせいで、生き方を間違えさせてしまったというのはものすごく大きいと思います。生活保護が緊急避難じゃなくなってしまっていますね。


「他に、現代型うつの特徴は何かありますか?」

あと僕が感じるのは、現代型うつは“リセットの儀式”みたいなところがある、ということですね。

現代型うつは長期間休む必要が出てくるので、会社を辞めざるを得なくなります。そこで、普通なら会社を辞めることに焦るはずなんだけれど、意外とみんな簡単に辞めるし、辞めた後、再就職する時には、就職先が格落ちすることが多いけれど、意外と平気な顔をしていて悔やまないんだよね。

自己実現に近い形にはなっていないんだけど、みんなどこか清々した顔をしていて、給料が下がったとか、格落ちしたということを嘆き悲しむ人は意外と少ないんです。

それを見ていると、本来なら、学生時代とか、もっと若いうちに自分探しでジタバタするべきタイミングが後の方に繰り越してきている感じですね。

とりあえず就職して、割といい会社に入ったけれども、何となくこれは自分の本来の姿じゃない、みたいに思うようになって、そこからうつっぽくなって会社を辞めて清々している、みたいな。

どこか通過儀礼というか、本当の自分らしさを選び直す“リセットの儀式”みたいなところがあるような気がするんですね。

こんなことは普通なら言い出せないし、自分でも認めたくないし、周囲も許さないけれど、“うつ”という手段によって、リセットすることを儀式化している人が結構多いような気がします。


「それは、親の呪縛から逃れる、というような感じですか?」

そう。そういったことが思いもよらない形で実行されているということ。そういう意味では、現代型うつは「治す」という発想より、「本人のやりたい形でやらせる」方向でいいのではないか、と感じています。

僕の価値観としては、「今の会社にいた方がお得ですよ」と言いたくなりますけど、そこは本人がどう思うか、が大切だということですね。

あと、“現代型うつ”について、もう一つは言葉の問題だよね。


「言葉の問題ですか?」

患者は“うつ”と言ってくる。だけど、よくよく話を聴いてみると、微妙に違っていて、彼らが“うつ”だと言っているものは、実は不全感だったり、不満感だったり、不安感だったり、納得できない気持ちだったり、違和感だったりする。

つまり、自分自身の細かい気持ちを全て“うつ”という言葉に肩代わりさせているんだよね。

だから、“うつ”と言うと、文字通り“うつ”かと思うけど、実は結構違うんですよね。だけど、とりあえずそれを“うつ”と言ってしまう。そう言われてしまうと、医者は抗うつ薬を出さざるを得ないんだよね。

これは、“言葉の雑駁さ”が問題ではないかと思います。“うつ”という言葉が流行っているから、その言葉に全部流し込まれちゃってる。特に、若い人は言葉が大雑把だという気がするね。

たとえば、「カワイイ」という言葉も、今はものすごくニュアンスが広くて、微妙なイントネーションや文脈によって全然意味が違っていて、「カワイイ」が実は「キモい」と同じ意味になることもあるわけだよね。

仲間内だと全て「カワイイ」で通じるけど、それは仲間内でしか通じないから、外に出ると他人とのコミュニケーションが成立しなくなって、外に出ていけなくなったり、他の人とは話が成立しないと反発したりする。

このように、言葉の使い方自体が、ものすごく雑駁になってきている感じがしますね。


「“うつ”という言葉が、とても便利なものになってきているのですね?」

そう。そして、おそらくそのうち、“うつ”という言葉は別の言葉に取って代わられるんだと思っていますけど、とりあえず、今のトレンドで、且つ、便利な言葉として扱われていますね。

少なくとも医者の立場としては「それは“うつ”なんかじゃなくて、いわば考え方と根性の問題だよ」とは言えないわけだよね。本当は「“うつ”とは違うんだから帰れ」と言いたいけどね。


「そういうことは言えないのですか?」

患者が納得しないということですよね。また、その対応に対して、患者は「見捨てられた」と感じるので、当てつけに自殺されたりしても困るよね。だから、少なくとも相手をしないといけないけれど、かといって話だけ、というわけにもいかないんですよね。

話だけでもいいかもしれないけど、1時間も割けないよね。そうすると、短時間で無難な薬を出すことになる。すると、次の診察の時「あの薬は効かなかった」となって、結局、薬は増えていってしまうよね。

患者も薬を要求しなければいいんだけど、薬が存在するイコール病人認定、という証拠になるわけだから。それも非常に不健康な形だよね。本当は「カウンセラーのところに行け」と言いたいんだけど、1回6千円だと実際は無理だし、まして生活保護の人だとより一層行けないよね。

だから、精神科は、本来は病気を治す場所だったはずなのに、ある種のよろず相談所のような、駆け込み寺みたいな性質を帯びてきている。だけどそれには対応できていないし、そもそも時間的に無理なんだよね。



インタビュー写真




現代型うつは、“うつ”という手段による“リセットの儀式”


「先生は精神保健福祉センターにもいらしたのですが、あそこはお医者様としては一番キツイのではありませんか?」

確かにきつかったですね。それはまず、当時はアウトリーチ(訪問)なんてほとんどなかったんです。実にヒマだったんです。あんまりヒマ過ぎるので不安になって、自分で勝手にアウトリーチする班を作って訪問したりとか、必要だったら病院と話をつけて患者を運んじゃったりとか。

精神医学というのが、反倫理的だとか、そういう雰囲気ってまだあったんですよね。反精神医学的な雰囲気があったんですよ。ましてや医者が訪問して患者を連れて行くとなると、これは拉致だとか非難する人はいくらでもいました。

医者が動くということ自体が我慢できないみたいな、反権力的で、いやーな雰囲気でしたよ。でも結局、僕にとっては一番の財産はセンターの時期。だって、生活保護を受けて月4万5000円の家賃で暮らしていくってどんなものか、訪問しなきゃわかんないわけじゃないですか。

あるいは、ごみ屋敷に行ってダニうつされてみなきゃわからない。あるいは統合失調症の患者が部屋に引きこもって、窓を段ボールでふさいで、家の中の電波をはね返すためにアルミ箔貼ってるなんて、そんなの行ってみなきゃわからないわけ。

そういうのを実際に体験できたってのはものすごい財産ですよね。いわゆる順調なエリートコースの精神科医でいたとしたら、そういう経験って持てないわけです。患者さんって診察室に来たら、当然、別な顔しますからね。それで訪問しまくったというのが、一番の財産ですよね。


「精神保健福祉センターにいらしたのは、ご自分の希望で?」

うん。それまで大学病院にいたんだけれども、大学病院もタラタラしてたのでいやだなって。それでそっちに行ったんだけど、いわゆる臨床とはちょっと離れると、そこでまたアイデンティティを揺す振られるんですよ。

ある病院から誘われた時に、「精神保健福祉センターの医者なんて、使えねぇ医者だろ」っていう風に、はっきり言われました。

例えば、保健所長やる医者、精神保健福祉センターにいる医者っていうのは、半分は使えない医者、臨床ができない医者、実は病気で仕方なくそこに置いている医者、あとはそうでないのが混じってるというのが事実なわけなんですね。

だからそこでアイデンティティをめちゃくちゃ揺さ振られて、不安な毎日と、もう1つは実際に患者宅を訪問してものすごくいい経験をしたというのと、両方でしたね。


「患者さんの生活面が見えるというのは、やはり病院では得られない?」

そうそう。はっきり言って、好奇心満たされるわけ。僕は何で精神科医をやってるかって言うと、好奇心ですから。それを面白半分でするのは別としてね。

こういう人生もあるのか、こういう風にも人は生きていけるんだっていうのは、普通は見られないわけですから、それはもう素晴らしいことだって思いました。


「診察室という構造で守られている部分というのは、おありですか?」

それはものすごくありますね。診察室というのは、白衣を着るということで守られるし、ある種の権威というものもできるし。だけれども、そこに安住すると、ものすごく偏ったことしかできない、あるいはキレイごとしか言えないということになりますよね。


「あえて、診察室の外に出ようと思われたきっかけは?」

やっぱり診察室の中だけじゃ、「ホントかいな」ということも思うし、それに自分自身がとても社会経験が薄かったというのを自覚してるんですね。

というのは、僕はいわゆるアルバイトっていうのをしたことがないんですね。例えばマクドナルドで働くとか、ティッシュを配るとか、世間一般でいうアルバイトはしたことないんです。当然会社勤めもしたことがない。そういう意味で、ものすごく偏った人間なわけです。

だからよけいそういうことに負い目がある。にもかかわらず精神科医っていうのは、実際のところ、単に治療するというだけでなく、患者さんの将来とか生き方まで考えなきゃいけない。さすがに、そりゃあまずいだろうと思って、せめて見聞広げとかないとまずかろう、というわけで。


「“家族”については、どのようにお考えですか?」

うちは子どもがいなくて女房と二人だけなんだけど、僕は最初、女房と結婚する時に「子どもを作る気はないけどいいですか?」と確認して、結婚したんです。

何で子どもを作らないかと言うと、僕は、ゆうちょ銀行で払い込みも満足にできない人間なので、子どもを教育するとか躾けるとかまったく自信がないわけですよ。自分が子どもを育てるということに対して責任を持てそうにないんですね。

もう一つは、健康な子どもが生まれるかどうか、これは丁半博打みたいなもの。産婦人科医をやっていた頃は、出産前に超音波検査とかやるわけですが、生まれたら「あちゃー」ってことは必ずあるわけです。自分の子どもがそうだった場合、自分がどう思うか想像がつかなくて。

僕はくじ運悪いわけですよ。だから、神様がいるとしたら、「お前みたいな奴は背中に荷を背負え」と言われそうで、どうも障碍児が生まれるんじゃないかと、根拠のない確信があるわけです。と言って、障碍児が生まれても大江健三郎みたいな根性もない。そういうわけでそこまで冒険する気になれない、というのが一つある。

僕は、望まれない子どもだったら、生まれてこない方が遥かにいいことだと思っている。下手に生んでくれるよりは、とっとと堕ろす選択肢を選んでもらった方がいい。むしろ、お前みたいに子どもを産む方が迷惑なんだよ、と言いたくなることが遥かに多かったから、子どもを持たないという選択に対しても割とドライに構えられた。

さらに言うと、自分自身が一人っ子だったこともあって、一人っ子って期待が分散しなくて辛い部分があるんですよ。


「いまだに辛い?」

俺、基本的に家族って嫌いなんだよね。こんなこと言うのは何なんだけど、僕の母親って割と美人なんですよ。山口淑子に似ているような感じ。僕の母親への一番の負い目は、母親は口に出したことないんだけど、母親の期待に応えられるようなルックスのいい子どもになれなかったってこと。

母親は、多少頭が悪くても、ジャニーズ事務所の子みたいな子を多分望んでいたんだろうと、俺は勝手に思ってるんですよ。そこでものすごい罪悪感があるわけですよ。だってルックスなんて今更努力で変えられない。罪悪感というか、空しさというか、この歳になっていまだに引きずってる。

そんなこと言ったってしょうがないだろう、馬鹿馬鹿しいって、理屈ではちゃんと分かってるんですよ。人間内面が大事だって一応は思っているけれど、実際そういうのは引きずるんだよ。そういう点で、自分は親の期待に応えられなかったって、いまだにクソ面白くないわけですよ。

父親に関してはどうかっていうと、それなりに外科医として結構なところまでいって、厚生省、環境庁に行って局長になって、そのあと東海大学の公衆衛生の教授になって、まあ一応それなりの形になってるわけね。そんな親父に勝てたかっていうとなかなか怪しい。

だから、僕がなぜ本を書くかって、自分で書きたいっていうのもあるんだけど、両親に対して真っ当に勝てないから、少しずれたところで奇襲作戦をしてるんです。あんたらこんなに沢山本出したりできないでしょうって、ちょっと卑劣なやり方でね。でも正攻法で勝った気がしないから不全感があって、いまだにグジグジ言ってるわけですよ。

そういう風なんで、もう、家族って面倒くせーなって思っていて、本当に嫌。家族がいることで、こんなにいろんなことを背負い込まされるのかと思って。

家族っていうと暖かくて、ある種シェルター的なイメージを持つ人と、家族は嫌なものと思う人といるけれど、俺はもう、家族ってのは嫌だと思う方ですよ。


「家族で苦労している方に、先生からのメッセージは?」

とっとと家族を捨てて逃げろ、と、それだけです。

大体、問題のある家族って、家族の図を作るとわかりますね。真っ当な人間から、進学だの就職、結婚にかこつけて家を出ていきますよ。最後まで家に残ってる人は病理性の高い人だから、我々が介入する時にはもうドロドロに煮詰まってコールタールみたいな状態になってる。

もう逃げようにも逃げられない人しかいない所、そんな所にしか我々は介入しないからね。それで、逃げた家族の一人に連絡を取ると、関わらないでくれと断られるわけです。「逃げ損ねた君、かわいそうだね。だけど今更無理だったよね。よくわかるよ」って声をかけるんです。

その時、自分の過去と重ね合わせて、「俺でなくてよかった」と思うわけですよ。そこは、俺でなくてよかったにしろそうでないにしろ、何らかのリアルな思いを抱けるかどうかって重要なことじゃないですか。


「完全に他人事だったら介入なんてできないですものね」

そうそうそう。だから共感や同情はしないけど、わかりますよ、と。理解はできますよね。


「援助者として燃え尽きないようにするには、どうすれば良いでしょうか?」

それはもう、好奇心を前面に出すことだと思う。だって、面白いと思えなければ、こんな割に合わない商売はないもの。

いわばメーターの振り切れた人とわかり合える機会があるわけだし、こういう人もいるんだ、こんな家庭でも何とかなってるとか、それを知ることができるという、その楽しみだけだよね。だけどそれって重要じゃないですか。単に儲けようと思ったら他の方法はいくらでもあるし。

もう一つは、着地点を我々は探らないといけないんですよ。着地点っていうのは、いかに相手の幸福を見定めるかということなんだけれど、そこでわかったことは、幸福って実は、金と地位と健康があればいいってことじゃなくて、人それぞれ違うんだってことですよ。

それぞれの人に、その人その人の幸福を考えてあげるっていうのも興味深いですよね。幸福の多様性っていうのを身をもって知ったのは、非常に重要な経験だったと思っています。


「今、悩みを抱えている方へ、先生からのメッセージをいただけますか?」

まず、その悩みをきちっと言語化して誰かに伝えること。頭の中だけでぐるぐる考えている間は、多分、解決はつかないだろう。解決の仕方って、自分だけでは「こんなことしかないだろう」と思っていても、実は思ってもみないような方法があり得るんだよね。

だから、他人に伝わるような形にして、「困っている」というメッセージを発しない限りは救いは訪れない。逆に、その思いを発すれば、すぐに何とかなるとは限らないけど、思わぬところで意外と解決がつく。

それは自分が望んだとおりでなくて意表を突いた形なのかもしれないけど、別の展開があり得るということは言っておきたい。それは、自分自身がこの悩みを一体どうすればいいかわからないっていう体験があったから言えること。

小さい時にね、音楽で木琴を叩くという授業があったんです。だいたい、ぼーっとしている方なんで、何が何だか分からないけど、適当にやっている振りをしてごまかしていたのね。そうしたら「来週、木琴の試験をやります。一人ずつ叩く」って言われて。

何もわからないし、近所に友達も住んでいないし、どうしようって思った。そもそも、木琴のドの位置が分からないわけね。その時どういう訳か、ドレミのドの位置さえわかればこなせるって、それだけはなぜか分かったんだよね。そうすれば練習すれば何とかなると、そこまでは薄々分かった。

でも、その先がわからない。ひたすら悩んで。悩むって言ったって、「どうしよう。どうしよう」と思うだけなんだよね。ついに、来週に試験があるという日曜日に、もう本当に大決心で親父に泣きを入れたわけね。「こういうことで木琴が分からない。どうしよう」ってね。

そうしたら、親父が「わかった。とにかくデパートに行こう」って。西武デパートの楽器売り場に行って、木琴を買ってもらったわけ。ついでに教則本も買って。その時の、本当に救われたという気持ち。本当にこれで俺の人生何とかなるという気持ち。

その時は帰りの電車の中で木琴の箱を抱えながら、「俺の人生救われた」と思ったわけ。ありありと、今でも覚えていますよ。窓の外は雨が降っていて。


「お父様が神様に見えた?」

そうそう。よく考えれば、あの時泣きを入れたのが良かった。もっと考えればちゃんと授業を聞いていれば良かったっていう話なんですけれど、とにかく、そういう風に言えば良いんだって分かったって大変なことだよね。

そういう体験を持てたというのは、それなりに自分が恵まれていた訳ですよね。そういう所まで追い込まれたのを不幸と思うべきなのか、そこで泣きを入れて救いが訪れたという体験を持てたということを幸福と思うべきか。今の仕事にリンクさせれば、明らかに幸福な出来事だと思うんですね。

いかに助けを求めるか、あるいは、胸の中でじくじく思っていることと泣きを入れるということが、どれだけ違うのか、身を持って知っているので。基本的にはドライな所があるんだけれど、いざという時には、わりと親切ですよ。

自分で言うのもなんですけど、意外と手を抜いている割には、人のツボを突いて「助かった!」と思わせるようなところは、他の医者よりちょっと上かもしれないという自信はあるのね。身を持って学んだという風なところですよね。

人生万事塞翁が馬というかね。あまり恵まれ過ぎる人生も良くない。小さい頃に少し辛い目に遭うのも重要だとつくづく思いますね。


「先生が、お仕事をなさる上で大切にしていることは何でしょうか?」

結局、風邪が治りましたみたいな、そういう単純な形でのエンディングはないんじゃないですか。どの辺で、「まあいいや」と思ってもらうようにするかとか。いかにあきらめさせるか、そういう風なスカッとした気持ちになれないことが結構多いわけじゃないですか。

まあ、この辺で妥協しろよ、ということが多い訳だけれども、その辺をね、スカッとしないことを嫌だと思わないようにしようというのが、それも、それでありなんだと。むしろ、歯切れよく解決しましたみたいな方が、よっぽど危ない。

実は生焼けみたい、フェードアウト、無力感が出ちゃうみたいな方が現実にマッチしているんだと。そういう風な中途半端さを抱えながら仕事をしていくというのに耐えていくというのが、自分の仕事だという風に思うあたりが重要だと思っている。

だから、スーパーマンになろうなんて、さらさら思っていない。せいぜい迷った時に道を教えてくれるおじさんみたいな、そんな風なものだと思っています。


「ご自身の心の健康、セルフケアとしては、どんなことをなさっていますか?」

物を書くのが一番、自分にとって救いになっていますね。言葉に興味があるということだからなんですよね。書くことが確実に救いになっています。あるいは物を考えたり、整理したりする時に、書くということが助けになる。

言葉には大変な力があるんだという気持ちがあるのでね、ずっと、こだわり続けている。そのあたりで言えば、言葉を商売にするということで、精神科医兼、物書きになったというのは、当然、必然のことでした。


「今後の夢や展望を、教えていただけますか?」

好きなことを書いていく。それじゃないとリアリティが何もなくなっちゃいますから、臨床は続けますけれども。小説にウエイトが傾いてきています。小説は好き放題書ける。医学系の物を引きずっていると、いわゆる色ものと見られるという、そういうところが寂しい。


「次のご執筆のご予定は?」

今もゲラが出ています。今、抱えているのは5冊位。大体、いつもそうですけど、そういう状態じゃないと不安。そうじゃないと、世の中から見放された感じがしてね。





<編集後記>

今回は、優しい笑顔の春日武彦先生にお話しを伺いました。

「精神科医は、患者さんの将来や生き方まで考えなきゃいけない」
「だから、せめて見聞を広げないと・・・」と、
診察室を飛び出して、アウトリーチを続けられた春日先生。

先生の「好奇心」は、患者さんの人生をみつめる「暖かいまなざし」
なのだということが伝わってきました。

その先生の優しさの原点は、「木琴問題」で、ご自身が
お父様に救われた体験と、今回お話を伺ってわかりました。

「スーパーマンになろうなんて、さらさら思っていない」と、
おっしゃる春日先生ですが、「わりと親切」どころか、
“言葉”という最強のツールを駆使する
稀代の“スーパードクター”と、感じ入りました。



次回号「ラビング・プレゼンスは、究極のエンパワーメント!」→

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インタビューTOP(目次)

-ご案内- 春日 武彦 先生 精神科医 成仁病院顧問


春日 武彦(かすが たけひこ)  精神科医。医学博士。成仁病院・顧問

1951年、京都府生まれ。医学博士。
日本医科大学卒業後、同大産婦人科医を経て精神科勤務。東京都精神保健福祉センター、都立松沢病院精神科部長、都立墨東病院神経科部長などを歴任。
現在は成仁病院・顧問の立場で、臨床および執筆を続けている。
専門書・一般書ともに著書多数。


<春日武彦先生の著書>

cover
援助者必携 はじめての精神科 第2版



cover
精神科医は腹の底で何を考えているか



cover
「治らない」時代の医療者心得帳



cover
病んだ家族、散乱した室内―援助者にとっての不全感と困惑について



cover
緘黙 五百頭病院特命ファイル







インタビュアー:鈴木明美(すずきあけみ)
鈴木明美
セラピールームChildren主宰、Team Oasis 代表
自分がなんだか分からない。何かやりたいけど、見つからない。
心の悩み、病を抱えた方、自己実現したい方のお手伝いをいたします。

心理カウンセラー、ゲシュタルトファシリテーター、NLPセラピスト、
交流分析士1級、レイキヒーラー
HP:江戸川区西葛西、セラピールームChildren
ブログ:セラピールームChildren

インタビュアー:高橋美智代(たかはしみちよ)
高橋美智代
不惑を過ぎてから、心理学を勉強中の身です。
一瞬一瞬を、共に過ごす人々と、大事にして生きていきたいと思う
今日この頃です。

好きな動物:猫
趣味:読書 ピラティス
レイキマスター

インタビュアー:川田史郎(かわだしろう)
川田史郎
マーケティングプロデューサー、コーチ。

現状を変えていきたい人、何かをはじめたい人の
コーチングをしながら、
解決策のプロデュースや事業化のお手伝いをしています。



インタビュアー:脇坂奈央子(わきさかなおこ 日本メンタルサービス研究所 所長)
脇坂奈央子
『道開きの心理士』 ……本来のあなたの道を開く、お手伝いをします。
ブライアン・ワイス博士直伝の、プロフェッショナル・ヒプノセラピスト。
前世療法・催眠療法を中心に、ニーズに応じた各種心理セラピーを施療。

心理士、認定THP心理相談員、統合心理セラピスト、心理カウンセラー、
米国NGH認定ヒプノセラピスト、認定キャリアコンサルタント、
代替療法セラピスト(レイキティーチャー)
HP:ワイス博士直伝の前世療法・催眠療法・心理療法★ラポール
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